Wednesday, November 17, 2010

The reality is shaped by people's wrath and hatered and sorrow.

苦しみ悲しむ心ができる事はただひとつで、それは苦しみと悲しみを自分の外にまき散らかすこと。
ニーチェも同じことを言っている。私はニーチェがそう言っていることを知らずに自分の実体験からそう思った。
ニーチェも相当に苦しんでいたようだな・・。

人間とは自己に都合よく現実を作り出す。そして、それを道徳だの、正義だの、皆のためだのということにでっち上げる。 でも、本当は全て自分自身の正当化のため、自分自身をよりいいポジションに位置させるためでしかない。時にドグマ化して他人を犠牲することもいとわず、時に利害関係の一致する他の人々と結託して自己に都合よく現実を作り出す。そして、全てを自分の「怒り」によって定義する。自分の怒りを発散するために、自分の怒りの対象を世間一般の「悪」に仕立て上げようとする。

人の世は人々の怒りと悲しみと憎しみによって形成されている。

ただ・・人は原因がなければ怒ったり、悲しんだり、憎んだりはしない。

でも、ここで「そりゃ差別だろう。」といわれることを承知でいうと、遺伝子的な要因、生理的な意味でのでのサディストというものがこの世には存在している点を指摘しなければいけない。

人々はこのサディストをも利用して世の中を暴力によって支配してきた。確かに、人の世でもっとも確かなのは「弱肉強食」である。

でも、人間はそれ以上の何かに触れることができる「目覚めたもの」でもある。半分寝てるかもだけれど・・。

このサディストってなんだ?を少し考えてみたい。

そして、今思う。世の中をよくしようという試みも自分の欲でしかないのかもしれない。怒りと悲しみしかその裏にはない。

日々、空を見上げ、風を感じて生きていったほうが良さそうだ。

世の中の憎しみを減らそう。なんのドグマも持たず宗教も持たず道徳も持たず・・。それらは自分の怒りから世の中をゆがめるための道具でしかないから。まず自分の憎しみから減らそう。それが、もしかすると多くの人に伝染するかもしれない。多分、その方がいい結果でそうだ。

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