Wednesday, April 13, 2011

存在するモノが存在する運命にあるといのはちがう。

存在しているものが存在するべき存在であると思い込むのはなぜだ?
存在しているからといって存在してゆくべきであるというわけではない。 

何がいけない、これがいけないって事は何ひとつない。例えば自然破壊がいけないとかも含めて。自然破壊がいけない=そう言う本人の意志に合わない、それだけのこと。善悪は存在しない。それは人が自己に都合よく勝手に作り上げた尺度でしかない。存在していない。

自然破壊で困るのは生きている人間だけ。それを踏まえた上で自然保護と科学技術の発達、両方を進めていくのがよいと思う。困るのは生きている人間 だけ、では実際にはないけれども、特定の存在しか困らないわけであり、その特定の存在が困るから = 悪 っていうわけじゃない。それは主観であり感情。  自分にとって自分の命よりも何よりも大事なものは他者にとっては何の価値もない場合の方が多い。普遍的な価値などない、と自覚した上で行動したほうがい い。価値とはそれぞれが自分勝手に作り上げているに過ぎない虚像だから。存在していないから。

毒を撒き散らすものがいる、でもその毒を使って生きるものもいてその限られた範囲の世界で存在するモノすべてが存在することを可能にしている。そもそも「毒」という概念はある立場の者からの視点でしかない。

また、新たな毒が発生したら今ある存在は害を受けるだろう。しかし、今までになかった別の存在、または影に隠れるようにしてひっそりと生きていた存在が、新たな毒の発生によって繁栄するかもしれない。さて、こうなった場合何をどう悪とみなす?

あるいは全てのものが消滅したとして、それが何か?

存在するモノ全てが存続していくことを「善し」と考えるのは存在するモノ自身の主観でしかない。それは単に存在し続けたいという個の欲。その欲は 否定しない。あがいてあがいてあがきまくって存在し続けよう。あがきまくって自分の大事なものを守り抜こう。自分達が存在するに必要なものを保護し、ま た、新たに作り上げよう。

しかし、それを「善」であると思い込むのはやめよう。

それを世界の意志であると思い込むのはやめよう。

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